第二話 魔女の伝言

「やっと声がでるようになった……」
 折れていたクロツの首が元に戻った。
 すでに陽は大地を照らす役目を終え、天が月と星に支配される時間となっている。
 上体を起こすクロツ。
「っ痛ぇ……!」
 人間であれば死に至るほどの重症でもクロツは自然に治せるが、苦痛がないわけではない。クロツは激痛に吐く息を止められた。
「あいつらがクロのことをよく知らなくて良かったですにゃ」
 傍らにいる人語をしゃべる猫――ミーヤがのん気そう言った。
「あの三人組のこと知ってるのか? ミーヤ?」
 クロツがミーヤに訊ねる。ミーヤは大きく伸びをしながら、
「全然ですにゃ」
 と答えた。ミーヤの天衣無縫ともいえる受け答えに、クロツは肩透かしを食らったような気分になった。
(……あれ?)
 ここで、クロツの脳裏にある疑問がよぎった。
「……ミーヤ、いつから見てたんだ?」
 ミーヤがいった”あいつら”とは間違いなく三人の黒服のことであろう。クロツはミーヤがここに来たのはあの三人組が立ち去ってからのことだとクロツは思っていたのだが、違うようである。
「そうですにゃ、クロが木刀を拾って一人目を叩いたあたりからですにゃあ」
「なっ……!」
 ミーヤがやって来たのは男たちが立ち去る直前あたりだろうと思っていたが、まさかそれよりずっと前だったとは、クロツは意外に思った。
「なあミーヤ」
――なぜ俺の首が折られていたのに、加勢してくれなかった。
 とは、クロツはいわない。
「あいつら家の中を荒らしまわっていただろ? それを黙って見ていたなんてヘレナに知れたら……」
「クロ」
 ミーヤが真剣なまなざしでこちらを見た。マイペースなミーヤがあまり見せる表情ではないため、クロツは少し驚いた。
「鈍感なクロでも、わたしをじっと見ていれば、何か気づくはずですにゃ」
 そこでクロツは気づいた。ミーヤの身体からほとんど魔力が感じられなかったのである。
 ヘレナは強大な力を持つ魔女である。その使い魔であるミーヤも、あるじからの魔力供給量に左右されるとはいえ、日ごろから非凡な魔力を身にまとっていた。
 しかし、今のミーヤは普通の猫とは違う程度の魔力しか持っていなかった。
 こんな状態でミーヤが家捜しを止めに入れば、あの男たちを倒すどころか、逆にあの男たちに殺されていたに違いない。
「どうしたんだミーヤ!? 誰かにやられたのか!?」
 ヘレナの使い魔の魔力を奪い取るなど、かなり強力な相手に違いない。その脅威はクロツを襲った三人組の比ではないだろう。
「誰か……といえば誰かですにゃ。わたしの魔力を奪い取ったのは、ヘレナさまですにゃ」
「へ?」
 クロツはミーヤのいったことが理解できなかった。魔女にとって使い魔といえば自分の手駒であり、戦力である。その戦力を魔女みずからが削ぐという行為に何の意味があるのだろうか。
 もしかしたら使い魔から魔力を徴収しなければならないほどの事態に遭遇したのかも知れないが、プライドの高い彼女がそんな真似をするとも思えない。
「なんで……?」
「わたしもよくわからないですにゃ。ただ、ヘレナさまは珍しく慌てていたようで、かなり強引にわたしの魔力を奪い取りましたにゃ」
「ミーヤはヘレナの目の前にはいなかったのか?」
「いませんでしたにゃあ」
 使い魔と主人は魔術により繋がっている。ヘレナほどの魔術師であれば、離れた位置にいる使い魔に魔術を行使するのは、さほど困難なことではなかった。
「ヘレナさまからクロに伝言するようにいわれているのですにゃ」
「伝言?」
「ヤシの木をよく調べなさい、とのことですにゃ。こういい残してから、ヘレナさまとの連絡がとれなくなったのですにゃ」
 ヤシの木といわれたが、クロツには思い当たるものがなかった。当然、家にヤシの木など植えてはいない。
「ヤシの木か、よくわかんねーけど、とりあえず家の様子を見ながら探してみるか……」
 クロツが玄関へと向かう。ミーヤもそれに続いた。
 扉を開けると家の中の家具や調度品がひっくり返されていた。
「うわ、ひでーなこれ」
 目に見える範囲だけでもこれだけ荒らされているのだ、すべて片付けるのはさぞ骨が折れるだろうと思うと、クロツはげんなりした。
「適当に物を片付けながらヤシの木を探せばいいかな……」
 一日や二日で終わる量ではないだろう。どの程度荒らされているのか把握しようと、クロツは家の中を見て回ることにした。
 視界の端に地下への階段が目に入る。
(地下は、いいか……)
 地下はヘレナの空間である。クロツにとっての生活空間は、一階と二階に限られていた。なにやら怪しい実験道具があるため、クロツはできることならば地下へは行きたくなかった。
 地下の存在を無視し、そのままクロツが一階にある台所へと向かった。冷蔵庫の中身が床に散らばっている台所を見ると、クロツは気が滅入った。
「あ、スルメがありますにゃ。もらってもいいですかにゃ?」
 ミーヤがのんきな声でクロツに訊いた。
「ああ」
 クロツは生返事をしてそのまま別の部屋へと向かった。クロツの許可をもらったミーヤはスルメに飛びついた。
 クロツは猫好きである。普段ならミーヤが何かを食べているところを緩んだ顔で見ているのだが、今はそんな気分ではなかった。
(二階はどうなってるんだ?)
 クロツが階段を上る。階段の先にある二階には、クロツの両親やクロツの部屋がある。
 クロツは最後の段を踏んだ。幸い、あの黒服たちは二階には興味がなかったようで、あまり荒らされている様子はなかった。
(一応見てみるか)
 二階を歩き回ろうとする。ふと、額に飾られた一枚の写真が目に付いた。
 昔の写真と思われる。マテウスとヘレナ、そして母親のエルナの三人が写った写真だ。南国だろうか。三人はヤシの木の下で笑顔で並んでいる。
 クロツははっとした。
「もしかして、これか?」
 ヤシの木と呼べるものはこの写真に写ったものしかない。クロツが写真を額からはずして観察する。しかし、変わった様子は見受けられない。
(違うのか?)
 何とはなしに写真の裏を見てみると、青白い文字のようなものが浮かび上がっていた。
「これだ!」
 クロツは写真を持ったまま、ばたばたと階段を降りた。台所でスルメにかじりついているミーヤに声をかける。
「ミーヤ、なんか見つけたぞ」
「それは良かったですにゃ」
 ミーヤは生返事をクロツに返すと、あとは特に気にも留めずにスルメを食べ続けた。
 クロツはミーヤの態度に苦笑しつつ、一階のリビングに向かってソファに腰をかけた。写真の裏に浮き出た青白い文字を見る。
 どうやら日本語ではないらしく、クロツはそれを読むことができなかった。よく見ると文字の一部が矢印になっている。
 写真をくるりと回してみると、その矢印はまるで方位磁針のように、同じ方向を指し続けていた。
(こっちに何かあるってことか?)
 矢印に従ってクロツが歩く。矢印はリビングにあるテレビをさしていた。
 ためしにテレビのスイッチを入れてみたが、普段と同じような番組が流れるだけである。
(テレビに何かが流れるってわけじゃなさそうだな。とするとテレビに何か仕掛けが?)
 クロツがテレビを叩いてみるが、特に何も起きる気配はない。もしかしたらテレビに何か隠してあるのだろうかとテレビの裏を覗き込んでみるが、やはり何も見つからなかった。
「ちげーのかな……」
 テレビの裏から目を離し、写真の裏を見ると、矢印がテレビとは逆方向を指していた。
「テレビの裏じゃなくて、テレビの後ろの壁ってことか?」
 クロツが壁を注視する。よく見ると、壁の一部が淡く光っていた。
「これ……なんだ?」
 クロツが淡く光っていた部分に手を触れると、眩い閃光が放たれ、部屋全体を包み込んだ。
「クロ、どうしましたにゃ!?」
 さすがの事態にマイペースなミーヤも驚いて駆け寄ってくる。
「ああ、ミーヤ、大丈夫だ。壁を触ったら光ったけど、別に何とも……ん?」
 壁の淡く光っていた部分がいつの間にか空洞になっていて、その中に一枚の紙が折りたたまれて入っていた。
「なんだこれ……?」
 クロツが紙を広げる。A4サイズほどのその紙には、どこかの地図らしきものが書かれていた。とある地点に×でしるしがしてある。宝物の地図みたいだとクロツは思った。
「なあミーヤ、これ、どこだかわかるか?」
 クロツがミーヤに地図を見せる。
「わかりませんにゃ。……クロ、これ地図の右下に目盛りみたいなのが書いてありますにゃ」
 地図に縮尺を示すための目盛りがついているのは、なんらおかしいことではない。ただ、この目盛りは普通の目盛りではなかった。 矢印のようなものが、「×16」と書かれた部分を指し示しているのである。
「もしかして……」
 クロツが矢印に指を乗せ、そのまま右に動かす。はたして、目盛りを指していた矢印が指に引きずられるように動き、地図の縮尺も変化した。
「なんかスマートフォンみたいだな、これ……」
「にゃ?」
 クロツが目盛りを右や左に何度かスライドさせる。そうしているうちに、地図がどこを指しているのかがわかってきた。どうやら、それほど離れた場所ではないようである。
「ここなら電車を使えばすぐってところだな……なあ、ミーヤ」
「なんですにゃ?」
「あ、いや、わりぃ、なんでもない」
 クロツはこの地図が指し示す場所に行くつもりだった。そこへ、ミーヤにもついてきてもらおうと考えたのだが、やめた。
 今のミーヤの魔力はクロツにすら劣るのである。連れて行っても戦力になるとは考えにくかったし、何よりミーヤが傷つくのを見たくはなかった。
 クロツはあまり争いごとや、厄介ごとを好む性質ではない。しかし、何故ヘレナは姿を消したのか、あの男たちは何者で何をしていたのか知りたくもあった。
 クロツが手元の地図を見た。あのヘレナがこんな回りくどいことをしてまで残したメッセージである。おそらくこの×印の地点には重要な何かがあるのだろう。
(とりあえず今日は寝て、明日出発するかな……)
 すでに夜である。クロツは先の戦闘と、折れた首の修復で疲れきっていた。
「ミーヤ、俺風呂入って寝るから、帰りは気をつけてな」
「わかりましたにゃ。おやすみなさいですにゃあ、クロ」
 どうやらスルメは食べ終えていたようである。ミーヤはとことこと玄関のほうへと向かっていった。
 そこで、このままではミーヤが外に出れないことにクロツが気づき、扉を開けてやった。普段ならばミーヤは独力で扉を開けられたが、今はクロツの手助けが必要なのである。
「魔力が全然ない身体というのは不便ですにゃあ……」
 ミーヤは寂しそうにつぶやいて、そのまま夜の闇へと消えていった。
「じゃあな、ミーヤ」
 聞こえているかわからないが、クロツはそういってから扉を閉めた。
 「たん」と、扉を閉める音が、響いた。荒らされた家、いないメイド、その二つがクロツの孤独感を刺激した。
(明日は忙しくなるかな……)
 不安を抱えながら、クロツは一人の夜を過ごした。


続く


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