歴史初心者が送る字(あざな)講座
三国志を読んだり、ゲームの三国無双をやったりしていると、字(あざな)というものを目にするかと思います。
ときどき、あざなというのはあだ名みたいなものだと説明される方がいらっしゃいますが、それは違います。
簡単に説明してしまいますと、あざなというのは名前と敬称をくっつけたようなものです。
つまり、曹操と呼んだら呼び捨てとなり、あざなである孟徳と呼べば「〜さん」や「〜さま」をつけた形になります。
ただし、曹操のような高位の人物を呼ぶなら、姓のあとに官職をつける(曹丞相など)ほうが普通です。
さて、ここで注意しなければならないのは、あざなは敬称(〜さん・〜さま)ではなく、名前と敬称をくっつけたようなものであるという点です。
たとえば、劉備玄徳と呼ぶと日本で言うなら高木ブーブーさんや空条承太郎承太郎さんというニュアンスになるので、不自然になってしまいます。
(ただし、「劉備玄徳」のような表記がまったくないわけではありません)
また、あざなは敬称の代わりであると同時に、名前を隠すことによって呪術的なものを回避するという側面ももっています。
名前が呪いや不幸と関係しているという考え方は中国以外にもあるようです。
例えばモンゴルでは子供が悪魔に取り憑かれないよう、人間じゃないや、うんこまみれといった名前をつける風習があり、それは現在でも続いているようです。
日本では以前、子供に悪魔という名前をつけようとして、これはいじめの原因になると騒動になり、結局改名することになりました。
しかしモンゴルではうんこまみれという名前をつけてもいじめにはあいません。むしろ、それは普通の名前です。
文化の違いというものを感じました。
話をあざなに戻します。
あざなには一応原則があって、兄弟の順番か、名前を連想させる字をあてることになっています。
前者に関しては、伯仲叔季という決まりがあり、例えば、司馬懿のあざなである仲達は、仲という字で次男をあらわしています。
後者に関しては、関羽のあざなである雲長の「雲」の字が「羽」に対応していることからお分かりいただけるかと思います。
それと、周瑜の瑜の字と、あざなの公瑾の瑾は、どちらも美しい玉石といった意味を持っています。さすが三国志一、二を争う伊達男、自信にあふれています。
最後に、あざなのつけ方はあくまで原則で、その法則に従ってない場合もあります。
例えば、張飛のあざなは正史では益徳で、関連はありません。
三国志演義では翼徳になっており、これなら飛と翼が対応しています。
多分対応していないのが気になってこうしたのだと思いますが、直さなかったほうが張飛がよりお馬鹿キャラになって味が出たと思うのですが、いかがでしょうか。